宇宙進出まとめ
愛ってつまりこーゆーものでしょ。
インターステラ―を劇場で観て、その一年後にオデッセイも観ました。
そもそも狙ったかの様にキャストや設定を被せてきた兄弟の様なこの二作。オデッセイ側が仕掛けた出オチというかユーモアだと思うんですけど、目に見えるストーリーこそ違うものの、裏に流れるテーマとしては同じようなことを言っているんですね。
そもそも狙ったかの様にキャストや設定を被せてきた兄弟の様なこの二作。オデッセイ側が仕掛けた出オチというかユーモアだと思うんですけど、目に見えるストーリーこそ違うものの、裏に流れるテーマとしては同じようなことを言っているんですね。
これは過去の宇宙進出モノ、子供のころに観たヤツも観てないヤツも、大人になった今の目線でもう一度チェックしておかなきゃいけないなと感じました。
そこでこの記事を宇宙モノのまとめみたいな感じに更新していきたいと思います。
上げればキリがないので、宇宙といっても地球防衛が主眼のものはひとまずシカトしてこんなもん。他にオススメがあれば教えてください。
前置きはこのくらいにして、本題です。
宇宙進出≠行動範囲の拡張
みなさま、宇宙開発って何のためにするのか考えたことありますか?
いずれ枯渇する石油に代わる新資源を探すとか、兵器への転用とか、そーゆー実務上の目標があるんだとは思います。そこに空があったから的な冒険心もあるかと思います。
ま、現実のNASAのミッションはこの際どうでも良いのですが。
映画の中でも、どれも表面上は何かしら目的があって宇宙に行く話なんですけど、隠れたテーマとして目指すところは「地球人の領地拡張」という実務からは離れたところにあるみたいです。
進化の行き着く先
では何を目指しているのかというと、宇宙の先に人類の進化を重ねているのです。サルは道具を使う事でヒトに進化しました。その次に何が起こるのか。宇宙に行くということは、「地球人」から一歩先に進むことなんですね。
では何を目指しているのかというと、宇宙の先に人類の進化を重ねているのです。サルは道具を使う事でヒトに進化しました。その次に何が起こるのか。宇宙に行くということは、「地球人」から一歩先に進むことなんですね。
そして日本人ワイにはイマイチなじみが薄いのですが、進化について考えることは、神について考える事でもあるみたいです。進化の先で神と同等になれるとか、同等まで並ばずとも一歩近づく事ができたとか。
そういう姿を、直接的にしろ暗示的にしろ描いているのがこれら宇宙モノの共通点です。
そうして神に一歩近づいた人が何を説くのかというと、それはやっぱり愛なんですよね。
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ここから先は具体的に各作品のどの辺が「そう」なのかをメモしていくネタバレになるので、未視聴のかたは注意してくださいね~。
ここから先は具体的に各作品のどの辺が「そう」なのかをメモしていくネタバレになるので、未視聴のかたは注意してくださいね~。
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2001年宇宙の旅
宇宙開発モノのはしりというか、もう伝説的なやつですね。
これは何なんですかね。当時の人たちはなんでこれを名作と呼んだのか。長いよツラいよ。ストーリーを楽しむというよりはマグリットの絵を見るような感じ。
宇宙開発モノのはしりというか、もう伝説的なやつですね。
これは何なんですかね。当時の人たちはなんでこれを名作と呼んだのか。長いよツラいよ。ストーリーを楽しむというよりはマグリットの絵を見るような感じ。
まぁそれは置いといて、ラストでは新人類への転生が描かれます。
冒頭、謎アイテムに触れるとサルは道具を使いだします。ラストでは同じ箱に触れた人間が転生するのですからこれは明確に進化を描いてます。そして特定の宗教的な雰囲気は排しているものの、地球を俯瞰する(≒神の視点)存在として生まれ変わります。
予感はピッタリあたってました。まさに同じテーマです。
というか順番的には逆ですよね。この映画が最初に宇宙の果て、進化、神を重ね、後の作品たちが引用しているわけですね。自分の大好きな作品たちが、あれもこれもみんなこの映画を下敷きにしていたんだなと分かって超びっくりしました。
教養ってこういう事を言うんですね、精進します。
インターステラ―
こうして並べるともうほとんど2001年~のノーラン版解釈による焼き直しといった感じ。宇宙の果てで神に至るところは全く同じで、そこにキリスト教の価値観を足してきます。宗教的とはいっても説教くさくならないどころか、逆にエンタメとしての面白さも上げてきます。
主人公は一時的にではありますが地球を俯瞰する神の立場に立ち、地球に残った娘がその言葉を受け取り、人類を救済に導くんですね。この関係が神とキリストと作中で説明されるわけではありませんが、おそらくそういう意図なのだろうと思います。
そして二人を繋ぐのが親子の愛です。
オデッセイ
脇腹を刺されて死んだはずの男が、磔から両手に穴を空けて帰還する。
こっちはもうこれでもかというくらい直接的にキリストに見立ててきました。
生きるために十字架を火種にしちゃうタイプの無宗教男が、そして最後には後輩たちに愛を説くんですね。
時代遅れのダンスミュージック
相棒のパスファインダー
そしてジャガイモ
生物に限らずこの世の全てに向かう愛の形です。
インターステラ―と愛の中身こそ違うものの、同じ手口ですよね。作者の考える「聖書に書いてある愛って、つまりこういうモノでしょ」を、神にちょっとだけ近づいた主人公を通して描いているわけです。
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オデッセイという神話についても同じです。
それに映画が下敷きにしている過去の名作もほとんど知りません。
結果として大好きな映画も七割くらいしか楽しめてないんだろうなと思うと悔しくて、同時に次の発見が楽しみでもあります。大人になってよかった。