ASCASO社のエスプレッソマシンのマニュアル和訳したり、映画の感想文、たまに恋愛相談。

tomatojuicer222's diary

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感想文 グランメゾン東京が面白すぎる

日曜夜の楽しみが止まらない。

 

グランメゾン東京、料理ドラマ好きだしまぁ見ておくか程度で見始めたんだけど、蓋を開けてみればこれきっかけで人生が変わるんじゃないかってくらい面白い。大袈裟でもなんでもなく、僕の考える理想のエンタメフルコースみたいなものがあったとして、そのメインディッシュに近い一端を言語化するきっかけになったように思う。

 

この面白さがどこから来るのかと考えたとき、それは徹底した演出の力だと思う。 テレビ業界でいう演出というセクションの仕事はよく分からないながら、ストーリーや演技、音楽みたいな各々の素材を組み合わせて生かす「その他の全て」位の認識で書いている。

 

例えば3話。

キスマイ玉森演じる元弟子が、主人公の作った料理を味見するシーンがある。

主人公に認められたくて、認めてもらえない悔しさから反発して、けれどもどんなに反発しても主人公の腕前には感服ぜざるを得ない、、、。

そういう内面的な情報量の多い超重要シーンなんだけど、セリフなしの表情の演技だけで作ってしまう。これが本当にすごかった。

 

僕はゲーム業界にいるのだけれど、エンタメを作る側の視点において「せっかく作った面白さが伝わらない」というのは怖いことだ。怖いから普通はどうしてもセリフやナレーション、要は言葉で説明を入れてしまう。

玉森という俳優の演技力をよく分かっていて、目線だけの演技に全てを賭けて、セリフのない数秒間を世に出す決断ってとんでもない事なのだ。

「セリフはないけど重要シーンだよ」をカメラワークだけで伝えるアナウンスと「肝心のシーンの意味は自分で考えてね」というある種の突き放し方がめちゃくちゃうまい。

説明がないからこそ映像の意図を視聴者は自分で考え、そして複雑な心の中まで想像してしまうんですね。自分で一旦咀嚼して、考えて出した自分の思考なので共感出来ないわけがないというか。無理やり押し付ける感じのイイハナシダナーという感動じゃなくて、共感ってこうだよなというお手本のような共感。

 

調べてみると演出をやっている塚原あゆ子という人、数年前にやったドラマ「リバース」で玉森くんと仕事してるんですよね。主要キャストが割とパワー系の演技をする中、玉森の悩める教師役は抑え目ながら輝いていた記憶がある。他にも夜行観覧車、Nのために、アンナチュラルとか好きだった作品ばかり。ちょっとサスペンス寄りの作品で売れた方ならではというか、ジャンルは変わっても道標のように緻密にヒントを散りばめる能力が凄まじいんですよね。

 

そしてこの記事を書いている時点での最新4話。(毎週言ってるけど)今回はまたどえらい神回だった。

 

何がってウニですよ。

調理場のアクシデントでウニの仕込みを急遽手伝う玉森。昔は主人公に認められるために必至でウニの下拵えをしていた、というエピソードが語られる。その設定に恥じない活躍で、ストーリー的には大成功で終わり、という週なんですが。

 

視聴者的にはどこかほんとちょっとの引っかかりが残るんですよ。最近どっかでこんな感じの「ウニの殻を器にした料理」みたな。どこだっけな、と。

思い出して1度目の衝撃。

 

ウニ、同じくこの作品の第一話じゃん。

数年前、玉森が主人公の店で弟子をしていた時のエピソード。そこでの前菜にバッチリウニ使ってるんですよね。お前かーーーお前だったんかーーー玉森ーーー!!

だから「そんなん言われなくても分かってますよ」と阿吽の呼吸で仕込みに入れたんですよね。

 

こんなエモいとこなのに、ちょっとくらい回想シーン映したりしないの!?昔仕込みやっててさ、なんてセリフだけで済ませたよねあれ。3年前の事件の日を匂わせるような描写は一瞬たりともなかったはず。

 

前述の通り、3話でセリフなしの映像だけで見せるというのをやったあとで、今回は映像すらない完全ノーヒント。それで1話から仕込んだ渾身の伏線を披露する(いや披露してない、でも気づかせる)とか凝りすぎていて意味がわからない。

 

そして公式サイトでもうひとつのサプライズ。

https://www.tbs.co.jp/grandmaisontokyo/cuisine/

 

この1話と4話でウニを揃えるくだりについて、監修をしたシェフが語ってるんですよ。

料理ドラマだから料理のクオリティにこだわる、ちゃんとプロの監修がつく。それは分かる。

そうじゃなくて、プロに料理を依頼するその前の時点で、この感動が既にデザインされている。そこが激ヤバポイントすぎるんですよ。

 

見るからに金のかかっている料理の監修。毎週華やかで素晴らしいです。と思いきや。それが単なる見栄えや美味しさを担保する、という形式のこだわりを超えて、ちゃんとストーリー上の仕掛けになっている。

先の表情での演技もそうですよね。上手い俳優がいれば上手いドラマにはなるんだろうけど、それを活かして具体的なストーリーの面白さに結びつけている。

 

演出のおかげでストーリーが3倍面白い、盛ってるわけじゃなく本当に3倍くらいの爆発力に繋がっていると思う。

 

 

思い返せば僕の好きな映画マン・オブ・スティールもそうだった。

速さを映像化する、という演出に超絶キモチワルイほどにこだわりまくった結果、速いスーパーマンと力を隠して生きるクラーク・ケント、という生き様の葛藤までもを映像に落とし込んでしまった神映画なんですけど。

その「速い映像」を撮れる監督、としてザック・スナイダーを選んだ製作は、これまた好きな監督クリストファーノーラン。繋がってきましたねーーー素晴らしい。

 

超余談ですがノーランといえば盟友トム・ハーディです。ダークナイトライジングとかダンケルクで見せる、マスクに顔を覆われた状態での目線だけの演技。あれは本当に素晴らしい。そういう「目で語らせるならコイツしかいない」というお抱えの俳優を持っている監督はマジで強い。そんな贔屓の監督を見つけ作品を選ぶところから、このブログの感想文は書かれていってます。最高の材料をよく知っていて、最高の料理に昇華できる演出。今度からは塚原あゆ子もチェックしていこう。

 

で、つまり僕が考える王道のエンタメってそうなはずなんですよ。ストーリーが良いのはもちろんだし、クリエイティブにこだわるのも当然。そこまではうちの会社のゲームでもまぁ高いレベルでできていると思う。

クオリティがこだわりを超えてストーリーにまで影響し、ちゃんと面白さとしてユーザーに伝わる。そこまでやるのが王道を行く強者の歩みだよなと思った。

 

最近大ヒットしたソーシャルゲームのタイトルを見てもなるほどそういうところがよくできているなと改めて思う。

開発陣がもともとみんなタイトルのファンで、思い入れがあるから頑張りました、みたいなことをそこの社長は語ってるんだけど、きっとモチベーションだけの話ではないですよね。そのタイトルを極めまくった結果、面白さを担保する仕様とか技術にまで昇華できている。だから当然のように売れたんだなと思う。

 

アイディア1発で運良くバズったものが売れる現代だけど、奇を衒うではない王道な面白さはやっぱり最高に面白い。そんなことを毎週思い出させてくれる作品です。

 

グランメゾン東京、本当にオススメ。