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感想文 クロスディライブact3が面白すぎた話

魔法使いと黒猫のウィズ、ソシャゲのアプリ内で開催された期間限定イベントである。そのストーリーが最高だった。

 

2年ほど続くシリーズ物の3作目なので、それまで撒いてきた伏線が今作でいくつか解消される。そういう過去作ファンとしての満足感ももちろんあるけれど、単にSFとしてこんなに見事なものが、いちソシャゲのアプリ内で読めるとは正直思わなかった。

 


SFとは何か。

一般的なSF観って、近未来的なかっちょいーガジェットを駆使して、ロボットや宇宙的な乗り物で、目を奪われる派手なCGでドンパチする。

リアルで日本がそうなるなら、憧れる所ではある。しかし、そうしてアップデートされた日常には、憧れはしても物語として面白さはない。そういう未来的な派手さは、読み物としてのSFの本質ではない。

 


サイエンス・フィクションというからには、世の中がガラッと変わる科学的な革新がある。人類は瞬く間にその技術に依存する。依存するが故に対になるルールも設定される。

 

(たとえば無限エネルギーを生み出す永久機関が開発された世界。石油やお金は価値を持たなくなるとか。そういう世界ではたぶんエネルギー資源を食糧生産に転用できる人が強い、みたいな話。)

 

1つのルールが、その作品全体の世界観を造るのだ。これは魔法が存在するファンタジー世界も似たようなものである。魔法で事足りる世界ではおそらく発電技術は発達しないよね。もっというと現代のリアルもそう。産業革命蒸気機関が生まれたから、今の我々のこの世界がある。SFの場合それが1つの技術革新に集約されるわけ。

 

未来だから、技術が凄いから、「なんでもあり」なのは偽SFで、むしろ技術ゆえの縛り、ルールの方が本質といえる。

劇中限定の独自ルール、現代の常識とは異なるパワーバランスの中で、ではそこにいる人間が何を考えどう立ち回るのか。そういうところから普遍的な人間を描けるのがSFの面白さだ。


いわゆるザ・SFっぽい「派手なガジェット使い放題」はおまけに過ぎない。そこで生きる人間に共感できるか、ドラマはあるか。それらが技術ゆえのルールに根ざしているか。異なる文化、異なるルールが支配する異界が舞台でも「そのルールなら俺だってそう思う」という形で想像力が及ぶようになる。そういうところの一貫性がキープされているとものすごく面白いと思う。

 


んでクロスディライブ。

もう最高。

カオスマターという万能な元素がこの世界の根幹技術。カオスマター操作で現代日本よりもちょっとだけ発展した、ザ・近未来なフューチャーワールドが舞台である。


カオスマター操作は世代別にディライブ、アプライズ、レゾネイトとさらに3種のメソッドに分類される。これらはシリーズの過去2作まるまるつかって説明がなされるほどの、超わかりにくい概念なんだけど、3作目のここへきてやっとこの3つが繋がるわけですよ。

 

ディライブは物質を操る。

アプライズは物を介さずエネルギーを直接操る。

レゾネイトはエネルギーも介さず概念を操る。

 

エニィちゃんのイメージする「つよい」という概念そのものだから、あの腕は最強なのだ。「強いもの」と想像して具現化するのにムキッとした腕を思い浮かべたエニィちゃん、かわいい。


3種それぞれの微妙な特性の違いからドラマがうまれ、戦いが起こり、結末が動く。


技術と歴史とそれに紐付くルールがしっかり練られているし、そんな技術特性が主人公の異様におっとりした性格とか「AIの権利」とか「共感とはなんぞや」みたいな人間ドラマにまでしっかり結びついているから超熱い。

まさに先に述べた面白SFの条件を満たすわけ。マジでゲームの1イベントとは思えない、大作映画なみの極上SFに仕上がっていて最高だった。ご馳走様でした。