ASCASO社のエスプレッソマシンのマニュアル和訳したり、映画の感想文、たまに恋愛相談。

tomatojuicer222's diary

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感想文 天気の子

スタンド攻撃を受けた時、その能力の秘密を探るのが定石で、それをしないやつから真っ先に倒されていく。

分からなければとにかくまずは本体を探す、これは基本戦術であるものの、結局のところその能力を分からずして本体にたどり着ける例は極わずかである。

 


だから僕もそれに倣おう。彼らの能力はなんだろうと考えてみる。それが真相にたどりつく唯一の道である事を知っているからだ。

 


何の話かと言うと天気の子ですよ。

感想文を書きたい。

書きたいんだが天気を操作する能力とその代償、そんなストーリーが映画の大部分占めるなか、そこには一見不可解で理屈に合わない描写も多い。ちょっと晴れ女という能力に矛盾してるというか、蛇足にも見えるそれらの現象に整合性がとれるような、語られていない能力の根っこを見極める必要があるわけ。

 


ヒナさん。能力は100%の晴れ女。

 


映画前半、ヒナさんが祈ると一時的な晴れができる。その代わり別の場所に大砲のような雨の塊が降る。そういう代償をもった能力かと思った。ところがどうもそうじゃないらしい。晴れにするたび、ヒナさんは別に大きな対価を支払っている。雨が降るのは別に能力の代償というわけではないのだ。

 


ではあのくじらみたいな雨塊はなに?

あの魚はなに?

単に空は未知の領域で、そういう不思議な生き物がいるよ、という描写なのか。

東京になぜあんなものが降るのか。

 


晴れ女は稲荷系の能力で、雨を降らすのは龍神系の能力。占い師のおばちゃんはそう言っていた。劇中に狐モチーフが出てきた記憶はないが、天気を司る赤い鳥居と言えば稲荷系と捉えてよいのではないか。

 


あの鳥居をくぐる。空と繋がる。彼岸と此岸の境目。まるで「君の名は」の御神体である。(劇中でハッキリ描かれるとおり2つの話は同じ世界線なので、死後の世界に繋がる程度の不思議事象は普通に有りうる。)

技術や思想、性格、感情を形にし、努力や才能だけでは決してたどり着けない「能力」に変質させるもの。前作で組紐や口噛み酒という伝統技術を、入れ替わりの能力に昇華した異能。人間としての境界を越える不思議パワーを添加するもの。

あの鳥居はつまりジョジョでいうところの壁の目、悪魔の手のひら、石仮面で、弓と矢なのだ。

 


となればヒナさんの能力。

ベースになった元々の性格、思想や技術は何か。それは物語前半、輝くシークエンスの中で何度も描かれる。天気がいいと気分も晴れるよねというやつ。

根源にあるのは、誰かを救いたい、心を晴らしたいという感じ。そうして誰かに喜ばれる事を何よりも喜んでいる。ナギくんのために働くなど自己犠牲的なところも見えるよね。空模様と心模様をリンクさせる能力。雨が止むという現象はそんな性格が能力になった時目に見える形であって、本質からしたら副作用みたいなもん。

 

なので事態が決定的に動くシーン。「だから泣かないでほだか」となる。天候としての晴れを願ったわけじゃなく「泣かないで」なのだ(ここ映画では微妙な諦め、人柱の運命を受け入れ「晴れを願った」っぽくも見えるんだが、小説では明らかにまだ消えたくないと書いてある)。「泣かないで」を叶えるために本来の全力を使い果たし、巫女としての資産を使い果たし、雲の上に攫われたわけ。

 


ヒナさんの能力、映画だと圧倒的な映像の勢いのみで描写されるが、小説版はヒナさん目線の主観的な肌感覚がこと細かく言語化されている。自分と世界の境界がなくなり、幸福感が天気に伝播していく様子が描かれる。これは読んでみるのがオススメ。

 


同じ事はマイナスの感情でも発生するのだろう。池袋の夜。人柱の話を聞き、その恐怖を現実に突きつけられ、警察に追われ、幸福な毎日が一夜で急転直下した日。偶然とは思えない真夏の雪のなか、ほだかはヒナさんの心と天気が繋がっている事を理解する。他人の幸せのために使ってきた能力だけど、不安なども伝播するっぽい。と、ここまではまぁ当たり前に、ヒナさんの能力で説明がつく。

 


もうひとつの異能

稲荷と対になる異能として、龍の存在が描かれる。

冒頭の船と、男子学生2人組の2回、雨の塊を降らせたのは誰だ。

池袋の夜の後、止まない雨を降らせたのは誰だ。

そもそも晴れ女を使わなければ止まない雨が2ヶ月降っていた。なぜ?

 


さて、ヒナさんを追ってほだかが鳥居をくぐった時、ヒナさんの時とは全く違う現象が起こる。ヒナさんの経験した、幸福感に溶けていくような綺麗で穏やかな彼岸ではないよね。

怒り荒れ狂う龍の住処で波に揉まれる。ほだかとしての輪郭は溶けるどころか、むしろ荒波に逆らうように強く研ぎ澄まされ、ヒナさんのいる場所までたどり着く。

初見ではなんとなく流して納得してしまうシーンだが、そう思って見返すとあまりにも違う。これはあきらかに別能力を示している。

 


鳥居に授かったほだかの能力はなにか。ベースになったほだか本来の性質、本質はなにか。

 

 

 

銃の意味

そこで銃である。分不相応な力の象徴。あの悪名高い銃、この映画を観た7割くらいの人は、あんなふうに衝動的に銃を打つガキに共感なんかできない。いや、100人見れば100人が思うでしょ、この話銃なくてもよかったじゃんと。当然製作者も分かっているはず。

それでもほだかは銃を撃つ。一見蛇足にしか見えないこのシーンだが、ほだかもまた能力者だとみれば、その本質を読み解く超重要シーンだ。力を持てばそれを行使する。周りも見ず、代償も考えず、力を行使して強引に願いを叶える。それがほだかという人間の性質なのだ。というか彼は映画冒頭からライ麦畑片手に家出してしまうような、考えなしで衝動的な少年なのだ。

 

そんな荒らっぱしく利己的なわがままボーイが、鳥居の力で異能を手に入れる。だから龍なのだ。荒波に逆らって、後先を考えず、周りの迷惑も顧みずに、ずっと雨でも構わないと宣言し、強引にヒナさんを連れ帰る事ができたのは、ほだかが皆に共感されない「銃を撃てちゃう」側の人間だからだ。

 


ラストのやまない雨を降らせているのはヒナさんが晴れを願わなかったからではない。対になる異能、龍神に憑かれた、いわば究極の雨男であるほだかが(責任を周りの大人に擦り付けるように)雨を降らせたのだ。

 

元々起こっていた異常気象を、

陽菜さんが晴れにし、

帆高が雨にする。

 

ここまでは解明できたっぽい。これでほだかとヒナさん、2人に関しては大方の疑問は解決した。

 

空に浮かぶクジラの大砲、魚やそもそもの異常気象についても思うところはあるんだけど、ここまで見えてきた結果この辺はメインの話と関係なさそうだから一旦割愛。後日書くかも。(いや書く。そうとしか思えないいろいろを思いついてきて、書かずにはいられなくなってきた。衝撃の真相は後日。)

 


では感想文。

 


最っ高だぜ〜〜〜。

思えば前作君の名は、ラブストーリーの殻をかぶってはいるものの探検、冒険の話だった。心の動機から始まって、探検の末辿り着いた風景で終わる。話が進む度に世界が外に外に広がっていく物語だった。だから物語のキモのところでやっと2人が出会って、さあクライマックスで、圧倒的な美しい風景とイケてるバラードに乗せてド派手な結末を迎えた。3年たった今でもあのシーンは目に焼き付いていて、それはそれは最高だったんだけど、今回はその真逆なのだ。

 


起承転結を追う限りは、リア充→悲劇→走る主人公→空を描いた壮大クライマックス、とほとんど同じ流れにも関わらず、今回は内へ内へ向かうのだ。風景から始まって人間の心の内面で終わる物語なのだ。

 


だから片割れ時に相当する物語のピークが、ラブホの暗いベッドの上よ。「僕らに何も足さないで、何も引かないで」から「だから泣かないでほだか」までの一連のシークエンスがマジで最高だった。片割れ時の100倍泣いた。

インスタ映えしそうなthe新海誠って感じのシーンは前半にやり尽くして、ストーリーとしてのクライマックスには人間の心の中身を描く。だから絵面的なピークと物語のピークにズレがあるのね。グランドエスケープの曲にのせて落下する2人の、あのシーンが本当に素晴らしいのは、そのあとのエピローグの、心の内まで読み切った後なのだ。あえて売れ線じゃないものを作るってのはこれなのか。最高じゃねぇか〜。

 

(「これは賛否あるよね〜俺は好きだけど」とか言ってる奴、じゃああの後雨止めるために2人の力で龍神ブッ〇しに行こうぜ、みたいなストーリーを読みたいのだろうか。それはそれで痛快だと思うけど、そういうのは細田さんに任せような。)


で、そのエピローグがまた大変良かった。

あの経験を経て成長したイケメン、と思いきやどうも違うわけ。あれだけの大立ち回りをして、首都を壊滅手前にして、でもなんやかんや世間に許されて、平常心を装ってスカして、甘やかされて、立花さんにも須賀さんにもなんか許しの言葉をもらって、それなりにモヤモヤしながらも「もう一度ヒナさんに合えば何かが変わる」と願ってる甘ちゃんなのね。一丁前に背だけ伸びやがって!

 


で、田端駅前の坂を登って、ラストいよいよヒナさんに会えるっていうあの場面。

 


そこで映画冒頭に戻るのよ。映画の1番はじめ、CMにも使われている主人公ボイスでのモノローグ。世界を変えてしまった!ってやつ。

 


全てはラスト5秒のため、自分がやった事の責任と、3年前のあの日に決めた覚悟を思い出すための回想だったわけ。内面を見つめて、奥の奥のやっとたどり着いた先で、そうして彼女に最後にかける一声を見つけるわけですよ。そうやって甘ちゃんだった少年が大人になる、その時に我々おじさんは泣いてしまうんですね。同時に陽菜さんの方が全く迷いなんかなさそうで、もう3年前からしっかり覚悟決まってました〜!みたいなのも大変良い。これをハッピーエンドと言わずして何なのか。

 

その覚悟が決まる瞬間がそれはもう見事に描かれていて、超本気のラブストーリーじゃん。すげぇ〜。ほぇ〜。ワシが見たかったのはこれだったんや〜!!!マジで映画冒頭0:00から、いやなんなら最初に世に出た番宣の映像から、一語一句全部がこのラスト5秒のために存在している。

風景の綺麗さはもちろん健在なのだけど、今回はそれを下敷きに、内面を描くストーリーテラーとしての秀逸さに撃ち抜かれた作品でした。ご馳走さまでした!